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萩 湯川屋敷 [はぎの武家屋敷]
湯川家住宅 萩市大字川島 【萩市指定文化財 史跡】
この湯川家屋敷は、江戸時代の武家屋敷の雰囲気を今に伝えています
長屋門に連なる主屋(座敷・台所など)、別棟(釜戸・湯殿・厠)、茶室、そして藍場川の水を引き入れた流水式地泉庭園
藍場川に沿って建つ立地は、藍場川の水を邸内に引き入れ生活用水として使用するためで、水資源循環を住宅設計に組み込む邸宅です。
飲料水には井戸があります。
また、火を使う釜戸・湯殿は藍場川沿いに別棟にしてあることなど、当時の家人の防災意識がうかがえます。
江戸時代、湯川家のある川島地区は開拓された田畑の地区であったようで、当時の田園の中に浮かび、水と緑に協調した湯川家や隣接する桂太郎邸を想像してみてください。
邸内の水の流れ
●主屋 藍場川→池→邸内水路→屋敷地下水路→長屋台所波止場→藍場川
●湯殿 単独の波止場
●飲料水は専用の井戸あり
庭には茶室があり、主屋の茶室と併せて家人が茶の湯を楽しんだであろうことが想像できます。
現在は史跡の為、人が住んでないので家財が無く屋内はシンプルな景色です。ここには必要最小限の生活について一考をうながすものがあります。
平成5年9月、湯川家より萩市へ寄贈され現在萩市の史跡文化財として無料公開されています。が・・・文化財維持費のトラスト活動募金箱が設置してありますので趣旨理解の上ワンコイン入れてあげてください。(笑)
◆駐車場あり10台くらいは駐車可能、
◆公衆トイレ【男女別】あり
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藍場川 【あいばがわ】
延享元年1744年に萩三角州の南部の治水のために開削された。萩はその三角州の特質から江戸時代の開府から昭和まで、特に毛利藩政時代は洪水が珍しくなく、死傷者が出ても、なれで藩士は驚かなかったという。歴代藩主は治水に悩まされ、外堀・新堀・藍場川・姥倉運河と開削していくことになる。中でもこの藍場川は城下を網羅し、萩南部の治水以外に水運として領民の生活の足となり、また生活用水としても活用されました。現在も川島地区など当時の様子を伝えています。
萩 レオパレス萩 [はぎのまちなみ]
萩 ハタ [はぎのまちなみ]
萩市役所前
萩の市章
早いものでもう六月ですね。
上の写真は、先月、五月の萩市役所前です。左は鯉のぼりですが、右端の旗は何かお解かりになりますか?
答えは萩市の市章です。市章とはどこの市町村でも、その市の象徴的なものを表していると思いますが、萩市の市章は、何をシンボル化したのでしょうか?
萩市役所のHPから以下抜粋すると…
『この市章は、萩市のシンボルでもある城下町の土塀の文様をモチーフに、全国の中にあっても一見で「城下町・萩」と認識できるように記号化しました。』
とのことです…
萩の旧萩城三の丸や城下町の白壁の中には、瓦を壁に塗りこんだ『なまこ壁』といわれる壁があります。その『なまこ壁』を記号化し市章のデザインにしたようです。
記憶が正しければ、公募だったと思います…
萩市の市章
よく見ると左右対称ではありません…
白を基準に見ると「中」って字が…
白い部分は、HAGIの「H」が隠されているとの噂を聞いたような気もしますが…
なかなかしゃれたデザインだと思います。
最初の写真の鯉のぼりを市役所にあげるのっていいですね。
堅苦しい市役所のイメージが少しだけ和らぎますね。
萩 呉服町 [はぎのまちなみ]
萩 城下町 [はぎのまちなみ]
これはなんでしょう?
城下町
毛利輝元によって開府された萩
観光の中心は、旧萩城三の丸であった堀内地区と、菊屋家・久保田家などの商家の残る呉服町ですが、市街地の所どころにも今も城下町の面影とでも言うべき景色が点在しています。
上の写真は…
城下町に残る長屋門の壁です。萩では、現存する長屋門の多くが、今も住居として生きています。
住む人によって修繕を重ね、今にその面影を伝えています。
行政によって、綺麗に再現修復された建物ばかりがクローズアップされますが、私は写真のような景色を見て歩くのも好きです。
白漆喰壁に塗るのはコストなどいろいろ大変…
個人で維持するのは困難な面もありますが、結果としてこのようなユニークな景色が生まれました。
白と赤のコントラストが、今も城下町が生活の場として生きているのだなぁって実感させられます。
観光産業として飾られた景色以外のこんな景色に、かつての城下の情景を感じます。
こんな家に住んでみたいなぁって思ったりもしますが、皆さまはどうですか?
萩 明倫館 [はぎのおはなし]
明倫館正門
明倫館
毛利藩の藩校『明倫館』
1718年(享保3年)六代藩主毛利吉元が、萩城三の丸に創建(敷地904坪)
1849年(嘉永2年)十四代藩主毛利敬親が、現在地萩城下江向に移転(敷地15184坪)
第六代藩主吉元公は、毛利藩主の中でも賢公といってよい方のようです。
かれの治世は質素倹約と、文武奨励に取り組み、その一環として『明倫館』を創設しました。
容衆
建学にあたり論語にある「容衆」と揮毫した額を掲げたそうです。
この「容衆」という言葉が毛利藩の『明倫館』の建学の精神です。
「賢を尊び、広く人々を包容す…」
尊卑・賢愚に捉われた偏見をもって人の見方を誤ることなく、真摯に学ぶことが大切であるといった意味ですかね。現代人に求められるものに思えます。
吉元の父である長府藩主綱元も質素倹約と文武奨励の藩政を行ったそうで、その影響からか萩藩主となった吉元も藩政改革に尽力したようです。
写真の表御門は、萩市指定有形文化財【昭和48年2月13日指定】
有備館
そんな明倫館の中にある武道場『有備館』
最近になって、少し知名度が上がったこの『有備館』…
NHKで放送中の『龍馬伝』で千葉道場のセットの作成に参考にするため、NHKのスタッフが有備館に来たそうですよ。
実際に、坂本竜馬はこの『明倫館』に来て、有備館で試合をしたそうです。
坂本竜馬のファンの方ぜひ訪れてみてください。
ちなみに、この有備館は、国指定史跡【昭和4年12月17日指定】
明倫館
住所:山口県萩市江向602
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萩 浜崎 中村亀吉商店
中村亀吉商店看板
中村亀吉商店
写真の看板をご覧になってお気付きでしょうか?わかりにくいですが、看板の文字が金網に貼り付けてあります。金網で漁網を表しているそうです。ユーモアがあっておもしろいですね。浜崎の伝建地区にある中村亀吉商店さん、古くから漁網製造漁具船具金物を取り扱う商店。
浜崎は、萩でも歴史の古い漁業の町らしく、現在でもお魚関係のお仕事に携わる家が多いようです。この中村亀吉商店さんも、その一つで、かつては、魚をとる網や船で使う信号や汽笛などを取り扱っていらっしゃったそうです。
店内には。かつての船道具などが展示してあり、汽笛の音を実際に聞かしてもらうことができます。
店内の様子
漁師の方だとすぐにわかるのでしょうが、いろいろな道具があって面白いです。
現在は、漁船もレーダーや無線を使ってハイテク化されているそうですが、かつての漁具船具は木でできたものや、真鍮を使ったもの、赤いガラスなど温かみがあります。
これらの道具を使って、命がけで漁をされていたのでしょうが、どこかのどかな憧憬のようなものを感じます。
昨今は、萩で採れたお魚は全国的に人気になってきているようですが、その漁業の歴史の一端に触れることができたように思います。
漁師さんたちの工夫や苦労のおかげで、美味しいお魚が味わえるということが実感できます
萩に訪れて、萩で採れた日本海のお魚を、是非味わってみてください
ボ~ッて感じの汽笛の聞けるお店
中村亀吉商店
山口県萩市浜崎町84
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萩 浜崎伝建おたから博物館 [はぎのおはやし]
山村家門
萩の漁師町浜崎
古い漁師町の町並みを残したこの町で、毎年開催される行事『浜崎伝建おたから博物館』
今年はあいにくの雨でしたが、久しぶりに浜崎の町を散策してみました。
町家といえば京都が有名です、私は古い建物を見て歩くのが好きですが、関西在住中は京都や大阪の古い建物を見に行きましたが、この浜崎も負けていませんよ。
山村家の屋根
写真の山村家は、往時の姿に再現修復されているそうで、その変り様には、かつて浜崎に住んでいた人はビックリするかもしれません。正面から見ると白漆喰の三角の屋根が三つ連なった外観はシンプルで美しく、どこかモダンな感じにさえに見えます。
浜崎伝建おたから博物館
博物館といっても、一つの建物のことではなく,町並みそのものを博物館に見立て、一軒一軒の町家を年に一度公開し、家々のお宝を展示して、お客さんに楽しんでいただくという企画のようです。
2010年の今年で13回目の開催となります。今年はあいにくの雨でしたが、思っていたより人出がありました。
山村家の土蔵は母屋と棟続きで、土蔵内も展示室として、山村家がかつて使用していた道具や家財が展示してありました。
この山村家は、浜崎の情報センターのような役割をなしており、萩の古地図のパネルや、町家での生活や構造を解説したパネルを展示し、実際の建物の中で、かつての生活の知恵の結晶とでも呼ぶべき町家のすべてを学ぶことができます。
電気やエアコンのない時代に、自然の採光や風通しを考慮した住宅設計は、これからの環境負荷の少ない住宅設計の参考になるように思いました。
古きを訪ね新しきを知る、そんな町並みを是非散策してみてください。
http://www.city.hagi.lg.jp/uploaded/life/10576_28651_misc.pdf
山口県萩市浜崎町77
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萩 御座船の倉 [はぎのまちなみ]
御船倉
萩市浜崎地区にある毛利藩の船を格納する倉庫
江戸時代に海のある藩にはあったようですが、日本に現存する御船倉遺構で、ここまで完全な形で残されているものはないそうです。
現在は埋め立てられて、陸地になっていますが、江戸時代は海に面し石と木で出来たドックの様なもので、現存は一棟ですが、当時は四棟あったそうです。
是非現地で、こんなでかい建物が四棟並んでいたことを想像してみてください
屋根は本瓦葺で、御覧のように石垣に屋根が乗っかっているユニークな外観です
広義に考えると、この御船蔵も城郭遺構ですね
現在、この御船倉を中心として浜崎地区は
重要伝統的建造物群保存地区
に指定されています。
とにかくでかくて、奇怪な建物です
ユニークな建物が好きな人には是非お薦めです
毛利御船倉
所在地 山口県萩市東浜崎町128-4
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萩城 毛利氏のおしろ [はぎのおしろ]
萩城虎口付近の石垣
萩城は毛利氏最後の城として、かつて、西国10カ国と九州の一部を領国とした毛利家臣団の経験と知識を結集し築城されたお城です。
防府・山口・萩の3箇所の中から、幕府の裁定により萩の地に築城となったそうです、穿った風説がいろいろありますが、城塞を構築するには、指月山を背にし、橋本川と日本海に囲まれた萩に築城することが一番適していると思われます。
萩の地は梯郭式【teikakushiki】といわれる城郭様式には最適の地であり、橋本川・松本川に挟まれた中州は、萩城の外郭の構成に重要な役割を為しています。
本丸堀の亀
1874年に廃城となり、かつては城の背を守備した指月山も、手付かずの山林となり、草木と石垣が戯れた城跡の石垣に登ると、草木の香りと、風に乗ってかすかに薫る日本海の海の香りに、かつてここが諍渦の中心となったことが嘘のように思います。
自然と戯れた石垣に登って世間の憂いをしばし忘れる。
そんな楽しみ方のある城跡
それが萩城です
お休みの日に是非訪れてみてください。
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萩城は毛利氏最後の城として、かつて、西国10カ国と九州の一部を領国とした毛利家臣団の経験と知識を結集し築城されたお城です。
防府・山口・萩の3箇所の中から、幕府の裁定により萩の地に築城となったそうです、穿った風説がいろいろありますが、城塞を構築するには、指月山を背にし、橋本川と日本海に囲まれた萩に築城することが一番適していると思われます。
萩の地は梯郭式【teikakushiki】といわれる城郭様式には最適の地であり、橋本川・松本川に挟まれた中州は、萩城の外郭の構成に重要な役割を為しています。
本丸堀の亀
1874年に廃城となり、かつては城の背を守備した指月山も、手付かずの山林となり、草木と石垣が戯れた城跡の石垣に登ると、草木の香りと、風に乗ってかすかに薫る日本海の海の香りに、かつてここが諍渦の中心となったことが嘘のように思います。
自然と戯れた石垣に登って世間の憂いをしばし忘れる。
そんな楽しみ方のある城跡
それが萩城です
お休みの日に是非訪れてみてください。
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